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奇門遁甲

月の挨星盤(2016年1月~3月)はこちら
【奇門遁甲とは】
 奇門遁甲の語源とは、奇門は奇妙な門という意味と、三奇(丙、丁、乙)からきているという説があります。また、遁甲は甲が遁れるという意味があります。甲は尊い存在(王様)であって、庚(敵)から遁れる必要があり、戊に姿を変えています。また、庚を恐れないのは丙と丁(火剋金の関係)。乙は庚と干合するので、庚を恐れることはない。よって、盤面には甲は無く、九干が飛んでいます。
 しかし、奇門遁甲は兵法がそのおこりで、諸葛孔明が駆使したと言います。しかしながら奇門遁甲の兵法も具体的な陣立ては記録が残っていません。先年公開されたジョン・ウー監督のレッドクリフに八陣のシーンがありましたが、感心して見ていました。
奇門遁甲には兵法としての法奇門と占いの術奇門があると言われます。この法奇門は近代になって時代遅れの兵法となってしまいもはや使う人はおろか研究する人も皆無でありましょう。よって、現在の奇門遁甲はもっぱら占いとしての活用が一般的といえましょう。

【奇門遁甲に関係する著名人】
黄帝
 伝説上の古代中国皇帝。文字や暦、指南車、貨幣などを初めて作ったといわれています。彼の部族は黄河流域で最大となり、大いに繁栄しました。あるとき黄帝は中国東方に勢力を張る部族の首領である蚩尤(しゆう)と戦うこととなったのです。蚩尤は変化自在の術を使い、黄帝が軍を進めようとすると霧を発生させて、将兵を混乱に陥れました。黄帝は困り果て、戦勝を天に祈りました。そうすると、祈りが通じて霊夢を見るのです。夢の中で九天玄女が現れ、奇門遁甲の秘法を授けたと伝えられています。黄帝はこれを元にして、部下の風后に命じ指南車(南を指す針が付いた車)を作らせ、方位を選んで決戦に臨みました。これで霧が発生しても蚩尤の軍を的確に捉え、散々に打ち負かしたと言われています。これが奇門遁甲のおこりです。黄帝が亡くなる時は龍の背に乗り昇天したと伝えられています。
黄帝
大公望呂尚
 本名は姜尚。伝説によると70歳頃まで霊山で仙道の修行をしていたようです。師匠の命で山を降りて周の国へ向かうのです。渭水の岸で毎日、釣をしていましたが、ある時、巨大な魚を釣り上げました。その腹の中から出てきたのが兵法の書、一説によると奇門遁甲の書だったのです。それから文王との劇的な出会いへとつながっていきます。釣をしていた大公望を見つけた文王はこの人こそ祖父 大公が久しく待ち望んでいた周を助ける聖人だと言って都へ招いたことから大公望と呼ばれました。文王へ仕えた大公望は軍師として周辺国を平定していき国力を増大させます。しばらくして文王が亡くなったため、その子である武王を立てて殷の暴君 紂王と戦い、ついには王朝を滅亡させます。大公望が記したと言われる有名な兵法書に六韜(りくとう)三略があります。
大公望呂尚
張良
 字は子房。紀元前180年頃の人。若かりし頃、秦の始皇帝を暗殺しようとして失敗します。追っ手から逃れて隠れ棲んでいた頃、橋のたもとで不思議な老人に出会いました。老人は履いていた靴を川に投げ込み、張良に取りに行かせます。誠実な姿勢にうたれた老人は黄石公と名乗り大公望の兵法書を授けるのです。これこそが奇門遁甲の書とも言われています。黄石公の正体は黄色い石と伝わりますが、恐らくは仙人と思われます。その後、始皇帝は亡くなり各地で反乱が起きてきます。このような中で劉邦に出会い軍師として仕えます。張良はすぐれた作戦を次から次へと打ち出し、秦の軍を打ち破ります。ついには劉邦と項羽の決戦に勝利して劉邦は国内を統一し漢の皇帝となったのです。体制が落ち着くと張良は病気と称し、家に閉こもるようになりました。その頃から導引術(気功の原型)の研究を行ない、穀物を断って神仙になろうとしたと伝えられています。
張良
諸葛孔明
 本名は諸葛 亮。字を孔明といいます。三国時代、蜀の皇帝、劉備に仕えた諸葛孔明(200年頃の人)は名軍師であり奇門遁甲の達人でした。
赤壁の戦いにおいて、七星壇を築き、方術を使い、その季節では吹くはずの無い、東南の風を吹かせたことにより魏の水軍を火攻めにし、呉と蜀の連合軍は大勝利を収めました。これも奇門遁甲の術と言われます。
 三国志演義の「八門金鎖の陣」には、生門、景門、開門から敵軍を攻撃すれば自軍に利あるが、傷門、驚門、休門より入れば自軍が傷つき、杜門と死門から入れば生きて出られなくなると書かれてあります。兵法における八門がどう使われたのかが想像できます。
唐代の有名な詩人 杜甫の詩に次のようなものがあります。
「功は蓋(おお)う三分の国。名は成す八陣の図。江流るるも石転ぜず。遺恨なり、呉を呑むことを失す」

諸葛孔明の功績は偉大だった。八陣の図で名声を上げた。河が流れてもその河原にあった八陣の石組みは形を残している。呉の国を併呑できなかったことは遺恨であるという意味。
 

諸葛武候(孔明)著「活盤奇門遁甲」には八神、九天星、八門、九星などが記載されています。これまで伝わった奇門遁甲を整理して完成させたと言われ、兵法としての奇門遁甲のみならず、占術としての奇門遁甲を大成した人物です。
諸葛孔明

奇門遁甲統宗 諸葛武候(孔明)著の抜粋
劉伯温
 14世紀の明代初めに活躍した軍師です。本名は劉基。字を伯温といいます。諸葛孔明の再来と言われるほど博識の人であったようです。元朝の末期には群雄割拠し、軍閥同士での戦いが激しさを増してきました。後に明の初代皇帝となった朱元璋はこの機をとらえて名士として有名であった劉伯温ら4人を召抱えました。伯温は戦略に優れ、朱元璋からは、「わが子房よ」と呼ばれたほどです。彼の功績もあって元軍を一掃してモンゴル平原に追いやり明王朝が成立したのです。その後引退し、故郷へ帰った伯温は名利を捨てて読書や著述に励むようになります。このときに命理関係の著書として有名な、四柱推命の原典の一つ、滴天随の原註や兵法書として有名な百戦奇略を残したと伝わっています。なお奇門遁甲についても原書の一つである奇門遁甲秘大全は劉伯温の校訂となっています。中国においては諸葛孔明と共に著名な軍師です。
劉伯温

【劉氏奇門遁甲】
 劉伯温の22代目の直系子孫である、劉広斌老師が劉氏奇門遁甲として先祖より伝えるものです。白鶴易人先生は劉広斌老師の弟子として第23代目の研究者に認められました。
劉氏奇門遁甲の特徴としては、八神、九星(九天星)、八門、九干を使うことです。
台湾の奇門遁甲では、八神の内、5番目は勾陳、6番目は朱雀が多く使われるようです。
また、4つの項目の効果としての割合は八神にウエイトが置かれています。

【奇門遁甲の用途】
 奇門遁甲は我が国において方位取りやお水取りに使われることが多いようです。しかし本場の中国では風水や択日法、命理や雑占にも広く使われています。つまり何でも奇門遁甲で占う訳です。
 活盤奇門遁甲の特徴は
  1. 紫白九星を使わないで十干から甲を抜いた九干を使うこと。
    九干を上下に配置し、上の干を天盤、下の干を地盤と呼んでいます。
  2. 直符、騰蛇など八神を使います。
  3. 九天星を使う
  4. 八門を使う
  5. 陽遁、陰遁で1080局(パターン)がある。
【年盤の作成】
 参考までに2017年の年盤を作る説明をします。

①地盤干を飛泊させる
 陰一局 旬首 甲午(辛)

   最初に戊を一局の位置である坎宮に入れ飛泊させます。
坎宮1(戊)→離宮9(己)→艮宮8(庚)→兌宮7(辛)→乾宮6(壬)→中宮5(癸)→巽宮4(丁)→震宮3(丙)→坤宮2(乙)

②旬首辛を天盤に入れる
 辛を地盤、巽宮年干の丁の上に置きます。その後、地盤干を天盤に時計回りに配布します。地盤辛の左隣に壬があるのでこれを離宮己の上に乗せます。同様に坎 宮地盤の戊を坤宮乙の上というように順に乗せていき、震宮の丙の上に乙を乗せ完成です。
 
 

③八神を入れる
   直符を年干丁の巽宮に入れ、陰遁は左回りに騰蛇、太陰、六合、白虎、玄武、九地、九天と入れていきます。
 
 

④九天星を入れる
 地盤の旬首干がどの宮にあるか確認し、その宮の定位である九天星を求めます。次に時干の上に当該九天星を配布し右回りに順次配布します。
事例では旬首辛は兌宮にあって兌宮の定位は天柱星。これを年干丁のある巽宮に入れます。
 天禽星は天芮星と同宮させます。
   
 

⑤八門を入れる
 休門から生門、傷門、杜門、景門、死門、驚門、開門と時計回りに配布します。
(陽遁も陰遁も右回り)
 
 八門の配布については十二支の盤を使います。八門を入れるのが少し面倒です。
 旬首辛は兌宮にあって兌の数字は7。旬首午の位置に7を入れて年支酉まで進むと4で止まります。7は兌宮で八門の定位は驚門。巽宮に驚門を入れ順に右回りさせ完成です。
 
2017年の奇門遁甲 年盤
 
 
以上の4項目を組み合わせて総合判断します。
 
 2017年の盤を見ると、東北が太陰、天英星、景門の組み合わせで80%となります。  九干の己庚は良くない。南の九天、天心星、開門で80%です。九干も吉ではありません。ということで、東北と南が吉と位置づけました。

【日本独自の奇門遁甲 挨星法】
挨星法とは
 日本で考案された奇門遁甲といえるものが、「挨星法」です。中国や台湾の本に類例を見ないものです。挨星法を考案したといわれる人が内藤文穏氏。別に高島正龍氏も挨星法を紹介した著書があります。「応用気学 八陣の秘法」「気学用神論」(高島正龍 北原白龍子共著) 私の易学における師は広島在住の近江一成師です。この方は福岡市で北原白龍子の門下となり、九州、中国、関東で易と気学、家相の鑑定活動をされていたと聞きます。高島正龍氏が福岡に来られたときに挨星法を学んだそうです。私の元にあるのは、本とは別に「奇門遁甲 挨星盤」というA4の資料。本には挨星卦しか表示していませんが、資料の方には八門が加えられています。

盤の内容
 玄空飛星派風水の宅盤のように2つの九星を重ねて吉凶を判断します。玄空と異なるのは、挨星法は天盤と地盤の位置づけです。まず、地盤はわが国で使われている九星気学暦の年・月・日・時九星で、中宮に入れ飛泊させます。次に天盤は当該時間の十二支方位に巡った九星を中宮の九星の上に置き、飛泊させます。そして、八方位ごとに天(上)に位置する九星を易の上卦とし、地(下)に位置する九星を下卦として、六十四卦に変換します。この象意は易卦と異なるものがあるため、挨星卦(あいせいか)と呼ばれています。



 年盤は参考程度しか見ませんが2017年の挨星盤を掲げます。
丁酉 一白(2月4日~翌年2月3日)

①地盤を作成
 中宮に一白を表す1を入れて飛泊させます。
 

②天盤を作成
 年支「酉」に位置する3を中宮の上部に入れ飛泊させます。
 
 
③挨星卦に変換する。
 挨星卦の象意表を参考にしてください。北は天盤8、地盤6です。8山、6天となり、山天大畜ですが、盤面では大畜とだけ表示しています。東北は天風姤、東は水山蹇、東南は地火明夷。南は75となっています。5は五黄を表し、八卦には当てはまらないので、挨星卦に変換できません。それで空白とします。西南は97で火択暌、西は53でこれも挨星卦に変換できません。西北は42で風地観です。
 

④八門を入れる
 左上が今回作った挨星法のもの。右上は先に作盤した活盤法のものです。八門の部分だけが同じものです。挨星法はとてもシンプルです。挨星法の判断要素は挨星卦の象意と八門の2つだけです。一方、活盤法は八神、九天星、八門、九干の組み合わせと4つもあり複雑です。日本人はシンプルなものを好むこと、周易の象意を使っていることから受け入れやすいことでしょう。
 今回は年盤だけを比較しましたが、月盤、日盤、時盤とそれぞれ作盤法に違いがあって煩雑なのでここで紹介することは控えます。
 

 方位だけの吉凶を判断すると挨星法では四吉門に全く吉の挨星卦が重なっていない状態です。南は地盤に五黄があって挨星卦ができないので大凶方位です。西は天盤に五黄があるため同様に大凶。活盤法では九干の組み合わせは良いとは言えませんが、総合的に見て東北、南が吉方位です。
 実際は日盤や時盤を使うのであくまでも参考ということで紹介します。

 良く使う日盤についてはこのページをご覧ください。
 http://gendaifusui.com/genku/201707kimon_aiseihou.pdf

【奇門遁甲の注意点】
 奇門遁甲を方位術で使う場合、吉方位へ2時間以上歩くと吉作用が出ると言われています。私は初めて奇門遁甲を知った時、お盆休みの時期でしたが、3日連続で自宅から吉方位に向けて2時間歩きました。暑くて首が赤く日焼けした思い出があります。当時、近江一成先生から、「何人かに挨星法を教えたがあなたのように歩いた人はいない」と言われました。私自身はそれで気付きもあり、効果を確認できました。活盤奇門遁甲には複雑ゆえの判断材料が揃っています。挨星法にはシンプルゆえはっきりとした意味を教えてくれます。それぞれの特徴を活かして活用するのが良いかと思うのです。
 ところで、最後に言っておきたいことがあります。それは奇門遁甲を使って方位取りすれば、いきなり財運が押し寄せてきたり、結婚相手が現れるものとは限らないことです。「果報は寝て待て」とばかり吉方位の神社へ祈願して待っていればご利益があるなら簡単です。成果を求めるならば何か目に見える努力があって、それを後押ししてくれるのが奇門遁甲の力かと思います。昔の本にも採用広告を出して吉方位へ旅行したら効果があったと書かれていました。子宝を授かるのも何もしないで子供ができる訳はありません。資金繰りが悪くて月末に資金ショートするのが方位取りによってそうならないというということが簡単ではないからです。それよりも吉方位を使っての楽しい旅行くらいであるとひょっとすると良いことに巡り合えるかも知れません。それくらいの余裕を持った気持ちが必要かと思います。
 いずれにしても最初に述べたように奇門遁甲は方位術だけに使われているものではありません。本格的に学ぶためには良い先生とのご縁が必要かと思います。そして経験を積んでその真髄を掴んでもらいたいと思います。
         
         

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